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東京高等裁判所 昭和58年(ラ)176号 決定

抗告人

丙田ハナ子

右代理人

野口忠

主文

一  原審判を取り消す。

二  抗告人の氏「丙田」を「甲田」と変更することを許可する。

理由

一本件抗告の趣旨は、主文同旨の裁判を求めるというのであり、その理由は次のとおりである。

1  抗告人は旧姓「甲田」であり、昭和四六年七月一五日丙田太郎と婚姻して夫の氏「丙田」を称し、昭和五五年一〇月二四日夫丙田太郎と協議上の離婚をして、戸籍法七七条の二により離婚の際に称していた氏「丙田」を称する旨戸籍管掌者に届出をした。

2  抗告人が離婚後も「丙田」を称する者届出した理由は、離婚に伴う慰謝料に充当するため、太郎が五分の三、抗告人が五分の二の持分を有していた東京都足立区〇〇二―五―三マンション〇〇八〇四号室を売却するには、旧姓に復していると不都合であるため、右売却手続が完了するまで引き続き暫定的に「丙田」を称する必要があつたためである。

3  右マンションは昭和五七年六月二五日に至つてようやく買手が見付かつたので代金一三八〇万円で売り渡し、昭和五七年九月二一日所有権移転登記を経由した。

4  そこで、抗告人は旧姓「甲田」に復氏するのに不都合な事由がなくなつたので速やかに旧姓に復氏し、北海道札幌市内に居住する父甲田一郎のもとに帰り、親許で生活することを切望するものである。抗告人が丙田姓のままであれば、いわゆる出戻りとして世間態が悪く、抗告人の父と他人であるかの如き誤解を招くおそれもあり、父等家族の心情としても離婚した以上旧姓に復することを強く希望し、これを同居の条件にしている。そのため、抗告人はやむなく東京で一人暮しをしており、薬品の仲買人である前夫太郎の取引先からは取引その他の事項につき、現在なお太郎と婚姻中であるかの如き誤解を招いている。

5  民法七六七条一項は「婚姻によつて氏を改めた夫又は妻は、協議上の離婚によつて婚姻前の氏に復する。」旨規定し、同条二項が昭和五一年法律第六六号によつて追加新設されるまでその例外はなかつたのであるが、婚姻中に生じた社会生活の安定あるいは取引の安全を考慮し、離婚後の氏の選択について同条二項が新設されるに至つた。同条二項は「前項の規定によつて婚姻前の氏に復した夫又は妻は、離婚の日から三箇月以内に戸籍法の定めるところにより届け出ることによつて、離婚の際に称していた氏を称することができる。」旨規定し、所定の手続により離婚後も婚姻中の氏を称することができることとしたのであるが、法律の原則はあくまで離婚により復氏することにあるのであるから抗告人の本件申立は法律の原則に沿うものというべく、なんら関係のない氏を創設しようとする場合と異なり、これを認めることによつて社会生活上の混乱ないし弊害は考えられないばかりでなく、却つて丙田姓を将来とも称することによつて社会生活上の混乱ないし弊害が生ずるおそれが多分にある。

6  このように考えてみると、法律の原則に沿い復氏を求める氏の変更申立は、これによつて格別の支障が生じない限り、戸籍法一〇七条一項に定める「やむを得ない事由」を緩和して解釈し、これを許可すべきである。

7  よつて、抗告人の本件申立を却下した原審判は失当であるからこれを取り消し、抗告人の氏「丙田」を「甲田」と変更することを許可する旨の裁判を求める。

二当裁判所の判断

本件記録によれば、抗告人は甲田一郎の二女でもと甲田姓であつたが、丙田太郎と婚姻して夫の氏「丙田」を称し、その後昭和五五年一〇月二四日夫丙田太郎と協議離婚をし、同日民法七六七条二項、戸籍法七七条の二により離婚の際に称していた氏である「丙田」を称する旨の届出を戸籍管掌者にしたこと、抗告人が旧姓甲田に復氏せず離婚後も引き続き丙田姓を称することとしたのは、抗告人及び太郎において共有していたマンションの売却が円滑に処理されることを考慮したためであり、抗告人としては、もともと旧姓に復氏し、北海道札幌市内に居住する父甲田一郎のもとに帰つて父の許で再出発する希望を抱いていたのであるが、長期的展望に立つた的確な判断を誤つたものであること、右マンションはようやく昭和五七年九月二〇日売却することができ、同月二一日買受人のため所有権移転登記手続をしたこと、抗告人は昭和五八年三月一八日東京家庭裁判所に本件氏の変更の申立をしたこと、抗告人としては現在離婚の際に称していた丙田姓を称することによる社会的便益はなく、抗告人の父は、抗告人を実家に引き取るについては、円満な家族生活をするため、抗告人が甲田姓に復氏することを希望しており、丙田姓のままでいることは抗告人が離婚後再出発するについて障害となつていることが認められ、他方、抗告人が旧姓甲田に復氏することにより第三者が不測の損害を被る等社会的弊害が発生するおそれを認めるべき資料はない。

ところで、民法七六七条一項は、「婚姻によつて氏を改めた夫又は妻は、協議上の離婚によつて婚姻前の氏に復する。」と規定し、離婚による復氏を原則としているのであるから、長期的展望に立つた的確な判断を誤り同条二項の定めにより離婚の日から三か月以内に戸籍法の定めるところにより届出をして離婚の際に称していた氏を称することとした場合において、その後相当期間内に冷静な判断の結果婚姻前の氏に変更することを希望しその旨の申立をしたときは、それが恣意的でなく、第三者が不測の損害を被る等の社会的弊害が発生するおそれのない限り、戸籍法一〇七条第一項に定める「やむを行ない事由」を他の場合に比しある程度緩和して解釈し、右申立の可否を決すべきである。

本件において、抗告人が離婚後に選択した丙田姓は、前夫丙田太郎と共有していたマンション売却の便宜のためであり、このような理由によつて丙田姓を選択したのはにわかに首肯しえないところであるが、これは長期的展望に立つた的確な判断を誤つたことによるものであり、恣意的であるとは認められず、抗告人は丙田姓を選択して約三年になるが、その氏がまだ社会的に完全に定着しているものとはいえず、これを甲田姓に変更することにより社会的弊害を生ずるおそれがあるものとは考えられず、抗告人がその父の許で再出発を期するについては、甲田姓に変更することを抗告人の父も希望しているところであり、かつ、抗告人が婚氏の丙田姓のままでその父と共同生活をするとすれば社会生活上種々の不利益が予想されるのであるから、本件申立は、戸籍法一〇七条一項の「やむを得ない事由」があるものとして、これを認容するのが相当である。

よつて、本件抗告は理由があるから、原審判を取り消し、抗告人の氏「丙田」を「甲田」と変更することを許可することとし、注文のとおり決定する。

(川添萬夫 佐藤榮一 相良甲子彦)

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